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今が見頃!去川の黄色く色付いた大イチョウを見に、そして二見家住宅へと行ってきました! [日記]

お疲れ様です。\(^▽^)/
ピーテックカンパニーの日高です。

今週は雨の日が多いようですね(^^;)

この去川のイチョウは、島津藩主初代忠久公(1179~1227年)が当時、薩摩街道であったこの地に植えられたものと伝えられています。
この事から推定しますと、樹齢は約800年と考えられます。
幹の周囲約10m、高さ約41m、枝張りは東に約10.3m、西に約13.0m、南に約10.2m、北に約16.1mあります。
幹は、空に向かって大きくのびており、太い枝が少ないのが、このイチョウの特長で、秋には多くの実をつけます。 
パンフレットより抜粋

二見家は、去川の関所の御定番を勤めた家です。関所が設置された天正年間(1573年~1591年)以降、代々この地に居住してきました。
二見家住宅の建築様式には、『二棟造り(分横型)』と呼ばれる南九州の民家の特徴が取り入れられています。右側の棟は『座敷棟(オモテ)』と呼ばれ、来客を迎える接客空間として利用され、左側の棟は『居室棟(ナカエ)』と呼ばれ、二見家の私的な空間として利用されました。
二見家住宅は、同家に残された古文書に『去川御仮屋』と記されています。『御仮屋』とは、薩摩藩では地頭や領主の詰所のことを言い、同様に二見家住宅が公的な『役所』として位置づけられていたことがうかがえます。藩主など、薩摩街道を通行する上級身分の善が宿泊・休憩する建物としても使用され、嘉永6年(1853年)には藩主島津斉彬、明治4年(1871年)には勅使岩倉具視がこの建物に立ち寄りました。
建築の時期は、解体時の調査、及び二見家文書の記述によって『座敷棟(オモテ)』が安政2年(1855年)、『居室棟(ナカエ)』が明治28年(1895年)とわかりました。
宮崎市教育委員会

それでは動画どうぞ!


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