ダムカード その1 ~日向あたらしき村~ [ダムカード]
お疲れ様です。\(^▽^)/
今日は、久しぶりの休みです。v( ̄ー ̄)v 自宅の庭に雑草が目立ちはじめ、勢いづく前に除草剤を散布しました。午後からはゴロゴロと過ごしています。
先日、木城町の松尾ダムと、美里町の渡川ダムにダムカードを貰いに行ってきました。
県道22号線小丸川沿いを石河内方面へと進んでいきます。
「日向あたらしき村」武者小路実篤にちなんだ名前のトンネル、橋があります。
「友情トンネル」
「友情トンネル」の銘板
「日日新トンネル」(にちにちあらた)
「日日新トンネル」の銘板
旧道のトンネルも残っていました。
「賛嘆橋」(さんたんばし)
「童心橋」(どうしんばし)
「眞愛橋」(しんあいばし)
この他に「この道橋」と言うのがあるようです。
えほんの郷入り口を過ぎて、九電の「キノッQパーク」方面へ左折します。
暫く走ると「日向あたらしき村」入り口の看板があります。
(キノッQパーク看板の陰に隠れて目立ちません)
キノッQパーク駐車場を過ぎ、そのまま進むと道幅の狭い林道へと入ります。
さらに道幅の狭いガードレールも設置されてない道を進みます。
「日向あたらしき村」の入り口が見えてきます。
「日向あたらしき村」の中へと進みます。
正面奥に武者小路実篤の旧居があるそうです。
武者小路実篤の旧居のレプリカ「武者小路実篤記念館」 創立80周年記念事業として、実篤の著書や機関誌『新しき村』の愛読者および村外会員の協力によって建築されました。
写真資料などが展示。入館無料で公開されています。
詳細は、財団法人日向新しき村 0983-39-1139 へお問い合わせ下さい。
あたらしき村
1918年(大正7)11月、宮崎県児湯郡木城村(現、木城町)に武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)らの推進により創設された理想主義的な集団。内心の要求に忠実に、互いに自己を生かすべく武者小路の呼びかけに全国より多くの青年が参加した。『赤い鳥』とともに大正期(1912~1926)の思想、文化の有力な反映といえる。日向(ひゅうが)に土地を決めるより前に、武者小路は機関誌『新しき村』を創刊、『白樺(しらかば)』に注入した同じエネルギーをここで発揮した。この運動に対して『白樺』内部からは有島武郎の理解を込めた批判、当時の社会主義者たちからはその桃源郷的な発想に対する根本的批判などもあったが、武者小路はあくまでも向日的姿勢を堅持した。
だいぶ寄り道をしましたが、次回は目的地へと行きます。( ̄Д ̄;;
いつも、ご訪問いただきありがとうございます。
有限会社ピーテックカンパニー、ホームページ→http://www.ptech-comp.com
instagram→http://instagram.com/ptechcompany よかったら一度のぞいてみて下さい。
お手数ですが、↓のどれか一つを〝ポチッ〟と押して応援してください。m(_ _)m
宮崎県ランキング
今日は、久しぶりの休みです。v( ̄ー ̄)v 自宅の庭に雑草が目立ちはじめ、勢いづく前に除草剤を散布しました。午後からはゴロゴロと過ごしています。
先日、木城町の松尾ダムと、美里町の渡川ダムにダムカードを貰いに行ってきました。
県道22号線小丸川沿いを石河内方面へと進んでいきます。
「日向あたらしき村」武者小路実篤にちなんだ名前のトンネル、橋があります。
「友情トンネル」
「友情トンネル」の銘板
「日日新トンネル」(にちにちあらた)
「日日新トンネル」の銘板
旧道のトンネルも残っていました。
「賛嘆橋」(さんたんばし)
「童心橋」(どうしんばし)
「眞愛橋」(しんあいばし)
この他に「この道橋」と言うのがあるようです。
えほんの郷入り口を過ぎて、九電の「キノッQパーク」方面へ左折します。
暫く走ると「日向あたらしき村」入り口の看板があります。
(キノッQパーク看板の陰に隠れて目立ちません)
キノッQパーク駐車場を過ぎ、そのまま進むと道幅の狭い林道へと入ります。
さらに道幅の狭いガードレールも設置されてない道を進みます。
「日向あたらしき村」の入り口が見えてきます。
「日向あたらしき村」の中へと進みます。
正面奥に武者小路実篤の旧居があるそうです。
武者小路実篤の旧居のレプリカ「武者小路実篤記念館」 創立80周年記念事業として、実篤の著書や機関誌『新しき村』の愛読者および村外会員の協力によって建築されました。
写真資料などが展示。入館無料で公開されています。
詳細は、財団法人日向新しき村 0983-39-1139 へお問い合わせ下さい。
あたらしき村
1918年(大正7)11月、宮崎県児湯郡木城村(現、木城町)に武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)らの推進により創設された理想主義的な集団。内心の要求に忠実に、互いに自己を生かすべく武者小路の呼びかけに全国より多くの青年が参加した。『赤い鳥』とともに大正期(1912~1926)の思想、文化の有力な反映といえる。日向(ひゅうが)に土地を決めるより前に、武者小路は機関誌『新しき村』を創刊、『白樺(しらかば)』に注入した同じエネルギーをここで発揮した。この運動に対して『白樺』内部からは有島武郎の理解を込めた批判、当時の社会主義者たちからはその桃源郷的な発想に対する根本的批判などもあったが、武者小路はあくまでも向日的姿勢を堅持した。
だいぶ寄り道をしましたが、次回は目的地へと行きます。( ̄Д ̄;;
いつも、ご訪問いただきありがとうございます。
有限会社ピーテックカンパニー、ホームページ→http://www.ptech-comp.com
instagram→http://instagram.com/ptechcompany よかったら一度のぞいてみて下さい。
お手数ですが、↓のどれか一つを〝ポチッ〟と押して応援してください。m(_ _)m
宮崎県ランキング
ハレルヤさん
ぼんぼちぼちぼちさん
yamさん
水郷楽人さん
delfinさん
kazushiさん
mwainfoさん
ma2ma2さん
トレンダー櫻井さん
てんてんさん
宮崎大島治療院さん
kiyokiyoさん
caverunaさん
ありささん
banpeiyuさん
コミックンさん
tarouさん
いっぷくさん
*ピカチュウ*さん
jun-arさん
アルマさん
tsunさん
ソレイユさん
鉄腕原子さん
nice!ありがとうございます。
by KAN (2017-06-20 18:19)
ミラジョボチッチさん
DONさん
hasseyおやじさん
@ミックさん
ennkakasyuさん
みぃにゃんさん
xml_xslさん
tomi_tomiさん
raomelonさん
ストックンさん
myossyさん
ネオ・アッキーさん
(。・_・。)2kさん
nice!ありがとうございます。
by KAN (2017-06-20 18:21)